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「ヘモだちノート Vol.2『ヘモ』じゃないけど“だち”にして下さい」

『ヘモ』じゃないけど“だち”にして下さい。
〜チクバ外科にめぐり逢えた仲間として〜
入院期間 平成20年1月下旬〜2月中旬(23日間)

 

  私 : 39歳 倉敷市在住 子育て命の専業主婦 今回《潰瘍性大腸炎》で入院。
  夫 : 45歳 サラリーマン 現在県外へ単身赴任中。
  長女: 10歳 小学校4年生 入院中は学校の寮へ無理行っていれてもらう。
  次女: 4歳 幼稚園年少組 幼稚園を休ませ他県の実姉宅に預ける。

 

始まりは下痢
年末ごろからずっとおなかが痛かった。それが急に下痢になり通いつけの内科で受診した。一週間たっても下痢と腹痛がおさまらない。
「○○さん、チクバ外科わかる?」 
「いえ…。」
「胃腸科紹介します。他の大きい病院もいいけどね、チクバの瀧上先生がすごくいい先生だから。すぐ紹介状書いてあげるから。」と午前中の診察に間に合うように準備して下さった。
その日は大雪の日、かなりの積雪で水島IC付近でも事故があったりして命からがらチクバへ辿り着いた。
本当は少し気乗りしなかった。
<名医と言われる医者はカルテしか見ないで話す>
これまでのあらゆる通院生活でこれが私の持論だったから。
でも私の目の前にいるこの先生はちがった。真っすぐ患者の目を見て診察する瀧上先生がいた。
信じてみようかな、いや信じよう!信じるより他ない!


男ってまったく…
あらゆる検査の末、<潰瘍性大腸炎>のうたがい“大”で入院治療をすすめられる。
「詳しく説明をしますから明日ご主人さんと一緒に来てください。」
仕事はしてないけど主婦が2〜3週間入院するって考えただけでパニック!!
転勤族で身内なし、実家は他県、主人側の実家も他県。
どちらからも誰も来てもらえず主人も単身赴任中でとても仕事を休めるタイミングじゃない!
おなかは痛む、でもうずくまってる暇はない。段取りしなくちゃ。
色んな人の協力により何とか子供の預け先が決まり一安心。
主人も帰りつき、入院の前の晩、久しぶりに家族4人がそろったので、最後の晩さんをと、私は無理して夕食を準備した。
そんな私をみて主人は
「なんだかお母さん入院しなくてもすみそうだね〜。」
私、「へっ?」…。
「とにかく先生は忙しい方だし、明日は混むから8時には病院に向かいたいの。お願いネ。」
そう念を押したのに主人は深酒し、翌朝9時過ぎて起きてきた! 病気の原因はあなたかもー!!!


ジャンパーのおじさん
入院生活3日目、月曜の朝、何気なく窓の外をのぞいてたら病院の裏口を入っていくおじさん一人。植木鉢のうちが汚れてるのかジャンパーのポケットからティッシュを取り出し、丹念に拭いたあとゴミはしっかりポケットへ。
(几帳面な用務員さんだな、この病院のメンテナンスはばっちりだ!)
そう思ったその日の午後の回診で私は息をのんだ。
“ジャンパーのおじさん”は“竹馬理事長”だった!
自然を愛し、草花をいとおしむ人に悪い人はいない、それはわかってた。
でも理事長先生の《病院》に対する理念やモットーからもその愛があふれていて自分自身が大きな愛に包まれてるような気分になった。
これは、その後退院までの3週間、理事長が掲げる《患者の立場に立った人道的医療》が全ての職員に徹底され、私たち患者にとってそれが大きな“安心”につながってるのだと知る事となる。


神の手
他の患者さんが書かれた<へもだちノート>の文面に、しばしば「瀧上先生の手は『神の手』のよう」と書かれてあった。
手術を受けていない私も、一瞬で終わった内視鏡さばきに「まさにそうだぁ〜」と納得。
でもその手にはいつも何かしら書きこまれてあってメモがわりになってるし、診察室でパソコンのキーの上をさまよう人差指はなんとも人間らしくていい。神の手もパソコン苦手なんですネ…。
初診で超音波検査を受けた時、となりの診察室から私のカルテ番号をつぶやきながら検査器に入力された時は少々不安がつのりましたよ^^。
瀧上先生、先生の手の湿疹が痛々しいです。
ご自分が病院にかかる時間もないのでしょうね。
ある晩、仕事を終えて帰られるところにちょうど出くわし、
「先生、多忙ですけど私たち患者をおいて倒れたりしないで下さいね」と冗談まじりに行ったら、
「大丈夫です!倒れません!」
と真面目に答えられましたね。私が娘だったら「お父さん、いいかげんにして!」って叫んでるかもしれません。
立場が変われば勝手な言いぶん、すみません…。
でもみんな先生の健康祈ってます。本当に…。

※瀧上先生、初めてなのにどこかでみた顔、何度かそう思ったのち気がついた。ジャ○ネットタカタのあの名物社長にちょっと似てません?メガネはずして見てみて。顔だけじゃなく精力的なところも含め。
タッキー(瀧上先生)もタッキー(タカ○社長)もカメラが売り!
(これ私だけ?…。)


無実の医師、責められる
入院から丁度10日目の午後、炎症の具合をみる為内視鏡で再検査。
結果未だ炎症が全腸に広がったまま回復なし。普通の人ならこの10日間の治療でよくなってるとゆうのに、炎症と闘う根性まで失った私の体はどこまで弱いんだ〜(泣)
検査の翌朝、同室のMさん、Iさんが「今日結果出るん?」と聞いてきた。
前夜、ナースステーションで受けた宣告と、電話口で聞いた娘の泣き声とのダブルパンチで号泣。
そんな所へ瀧上先生、回診に来られたもんだから、Mさん、Iさん、岡山弁と鹿児島弁で
「先生、どねぇーなっとん?この人こんなにがんばとんのに!!」
「小さい子供おいて来とうのにどげんかしてやって下さいっ!!」
と先生を責める責める…。(先生ごめんなさい。先生のせいじゃないのに…。)
もちろん先生は検査結果をもって新たな治療計画をすでに立てておられ、私の体を考えた上での特効薬を注入。
食事も3分粥から5分粥へおなかにやさしいおかずも充実し、それからの私はみちがえる程グングン元気になっていったのである。
ちなみにMさん、Iさん、ともに70代の貫禄あるお母様たちであります。心より感謝^^。


欠食児童?
食事制限も治療の一部。
入院した日から食事は3食3分粥。
私は本来、朝からごはん2膳いただけるくいしんぼう。
多少具合悪いときでうどん一杯OKの女。
その私が、入院前から食べたいのに食べられない状態でやってきて、来る日も来る日も3分粥。
勝手なもので痛みが少しやわらいだら今度はおなかがすいてすいてしょうがない。
寝苦しい夜は砂漠で冷麺を追いかける夢をみ、3分クッキングをみては失神しそうになった。
下膳の時の残り物がうらめしかった。
そんな入院生活の11日目、CT検査が2時半に予定され、当然お昼はおあずけ。
3分粥だって私にはごちそう、それすらも口にできないなんて…。
ひたする2時半まで寝ました。夜眠れなくなるから昼は絶対寝ないようにしてたけど、もう寝てないと空腹で頭おかしくなりそうで…。
やっと検査に呼ばれ、レントゲン室に通された私は目を見開いた。
 

 


《肉まんだー!!》

 

 


そう思わせる程のレントゲン技師さんの白くてふっくらつやのあるほっぺ、おまけにニコニコ笑ってる。湯気まで見えるよう…。
もう私はそのお顔がおいしそうで、「じゃ頭こちらね〜」の声も耳に入らず逆に横になる始末…。
《退院したら一番に口にするのは肉まん》それが私の夢となった。
先生ごめんなさい。でも素晴らしいモチ肌です。

 

世間の風
入院から間もないある日、受付の方が二人来られた。
《潰瘍性大腸炎》は特定疾患の対象なので保健所で手続きをすれば医療費の公費負担が受けられるとのこと。
その内容から手続きの仕方まで二人がかりで丁寧に教えて下さった。
手続きは本人か家族のみなので自分で行くしかない。
入院から2週間目のこの日、外出する体力が少しついたので外出許可をいただき、地元の保健福祉センターへ行く。
この日の気温は日中でも7℃、北風が頬を刺す。
センター内は週末前ののせいか混雑していた。
目がチカチカする、足元がふらつく、書類を書く手もふるえる。
こんなに沢山人がいるのに私の様子に気づく人すらいない。
院内だったらすれ違う看護師さん患者仲間たちからいつもあたたかい眼差しと大丈夫?の声がかかるのに…。

 

《シャバの空気は冷たい》 ヒュ〜

 

2週間の入院で温室のイチゴになってしまった私は心身ともに凍えた。

※外来で来た時、ダウンしてる私にやさしく声をかけて下さった受付のMさん。娘が何度もMさんのほっぺをプニュプニュ押して失礼しました。
《お母さんの病院のお姉さんのほっぺ、気持ち良かったよ〜》とくり返し申しております^^。

 

 

・・・

 

いよいよ退院の日を迎えることとなった。
あんなに待ちこがれた“退院”なのにいざここを去るとなると名残おしい。
入院2週間を過ぎた頃からメキメキと回復していった私は<元気なつきそいさん>とまちがわれる程となり、私の闘病日記も段々“観察日記”みたくなってしまった…。

まず、誰よりも医師の先生方、
技術の素晴らしさは言うまでもなく、患者と向き合う姿勢は“神様・仏様”と拝みたくなるほど愛情を感じました。
どの先生もまずいつも笑顔^^、素適です。

白衣の天使、看護師の皆さん、
24時間明るくテキパキとどんな質問にもしっかり丁寧に答えて下さり、安心して身も心も任せられました。Hさん、「がんばらんでよかよ」と言われ楽になりました。
私よりうんと歳の若いナースもホント頼りがいがありました。Sさん、同い年にしてゴメン。スペシャルサンクスです!

清掃の方々、
病室を掃除するのはとても神経を使う作業だと思います。
一人ひとりに“失礼します”と声をかけ、静かにすばやく、そして他愛もない話しかけにも手を休めず笑顔でつき合って下さりありがとうございました。
私たちの命でもあるトイレが常にピカピカでこんなに快適なことはありませんでした。
早朝からのお仕事、これからも頑張って下さい。

栄養師、調理師の方々、
あれこれと制限の多い私の体に合った献立づくり、ありがとうございました。
食事の時間が一番の楽しみで、毎食本当に美味しくいただきました。
この間の食事、携帯カメラに撮りためたので今後の食生活の参考にします。
ごちそう様でした。

長々と書きましたが結論、

 

《私もこんな職場で働きたい!》

 

 

そう思わせる程チクバ外科のスタッフは素晴らしいです。
全ての方々に、

 

カムサヘヨ サランヘヨ

 


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